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 オーディション企画

天下井 × 朽宮( 3/5 〆 )

天下井 良弥

天下井良弥の電池が切れた。合同練習を終え、各自が寮棟へと戻っていく。一人、また一人とホールから消えていく。その背を見送りながら、己の中に確かにあった、自分の『 才能 』の電池が切れた実感だけがぽかんと胸にあった。 チームメイトに声をかけられたような気がする。いや、勘違いかも知れない。そんな朦朧とした意識のまま、気付けば共有スペースに誂えられたテーブルチェアに座っていた。沈黙。ぼうと宙を眺めていても、これだけの人数がいるというのに、誰もやってこない。よく見れば、窓の外はもう薄暗くなってきている。 上階からはパタパタと足音がする。きっとモデルや俳優を目指している若人たちには、美容と健康のために早くからしなければならないことがあるのだろう。アーティストを目指している者でも、課題のためにこの楽器はどうだろう、あの音を出すにはどうしたらいいのだろうと旋回しているのかも知れない。マネージャーは? ……まあ、門外漢の自分が考えても仕方ない。そもそも自分は門の中のことさえ知らないのだと、先程嫌というほど思い知らされたばかりじゃないか。
部屋の中だというのに、妙に寒い。ココアでも飲むか。確かパウダーは持ってきていた筈だ。そこらのスーパーの棚にごまんと並んでいる既製品だが、十分だろう。立ち上がり、音を立てるのも構わず引きずりながら椅子を戻す。誰もいないのにわざわざ気を使うなんてエネルギーの無駄だ。 すぐ側に備え付けられたキッチンスペースにゆっくりと歩いていく。卓上の緑のケトルには、誰かが使った痕跡。中の湯はもう冷めている。無造作に蓋を開け、シンクに捨てる。渦を作り流れていくのを見ることもなく、さっさと蛇口を捻っては空の容器を満たしていく。徐々に腕が重くなっていくのを、何処か他人事のように眺めていた。

朽宮 満

( 最悪だ )
合同練習を終えてから早々に部屋に戻っては 、他チームの経過観察も兼ねて資料を作ろうかと考えた矢先のことであった 。どうやらそれらの情報を雑多にまとめたファイルをホールに置いて来てしまったらしく 、どこを探しても燕脂色の表紙は見当たらなかった 。ぼんやりとしたかたちの光が窓からは溢れている 。シンプルなデザインなカーディガンを引っ掛けては 、少しの溜め息と共に明るい廊下への扉を開けてひたひたと歩きだした 。
( 春のチームはみんな出来上がりすぎ )
( 同じチームの様子は今日良かった )
( でも秋のアイツは __ )
今日の反省 。周りを気にしすぎたこと 。合同というだけあって一同が会したホールはまさに壮観 。飛び交う吐息混じりの台詞に 、自らの魅せ方を研究する者 、そして1人ただ黙々と楽器に向かっていたアイツ 。ざわめく喧騒の中でまるでなにかを失ったかのようにしていた様子は 、到底『 本気 』なのかどうかは分からなくて 。つくづく省エネルギーなヤツは良く分からなくてキライだ 。
( 創作者は変なヤツが多くて困る )
ふっと鼻で微かに息を漏らしては 、いつの間にか目当てのものを手に渡り廊下を戻る最中であった 。既に外気は冷え 、薄暗い程度だった空は既に暗黒の欠片を見せ始めるほどに落ちてきている 。ふと耳に届いた水の音に我に帰った 。誰かがいるのだろう 。誰であろうとできれば会いたくもないが 、生憎共有スペースにあるキッチンは直ぐそこまで迫っていた 。
「 なんだ 。あんただったの 。」
案の定しっかりと覗いてしまったからには声をかけるくらいはしてやっても良い 。そこにはケトルを手にしているアイツ 、こと天下井良弥の姿があった 。
「 ... コーヒーくらい作れないとか言わないでよね 」
仏頂面でその一言だけを加えたのは 、彼のその省エネルギーが気に入らないだけ 。  

天下井 良弥

自分のものではない軽い足音にハッと意識を戻すと、手元が濡れていた。どうやら蛇口を捻りっぱなしにしていたらしい。慌ててケトルを傍へ逸らし、キュッと小気味の良い音を立てて水を止めた。考え事なんてするもんじゃあないな。胸中、一つ溜息を吐く。それから直ぐに違和感に気付いた。自分は誰かの足音を聞いたはずだけれど。そうして顔を上げた時、丁度此方を覗く薄紅とかちあった。相手からすれば、普段と何ら変わりのない阿呆面に見えたことだろう。 
 「 ……、おー 」 
なんだ、と言われれば取り敢えず小さく会釈を返す。別に扱いに文句を言うわけでもない。言ったところで無駄な労力だろう。それより、彼女は一体誰だったか。確か他のチームの、そうだ。他でもない夏沈のマネージャーだったような気がする。
失礼極まりないが、普段はもっと他の人間に対する関心なんてあってないようなもの。そんな自分が思い当たる節があるということは、大きく分けて二つ。一つ、好意的に接してくる、将来的に必要な労力を減らしてくれそうな『 アリさん 』タイプ。そしてもう一つはというと、 
「 ……コーヒーね、はいはい……ミルクとお砂糖は自分でやってくださいね 」 
余計な労力を増やしてくるであろう、『 キリギリスさん 』タイプ。謂わば、寄らぬが吉だろうという認識を持つ人種だった。表立って口にこそしなかったが、彼女_____朽宮 満はどう見ても後者だった。 
「 で、わざわざこんな時間に何の御用で 」
ケトルをジクジクと温める熱源の元へと置き、彼女の方へと向き直る。手元にはインスタントコーヒーのためのスティック。ぴり、と小さく先を切り現れる粒をカップに流しながら、何となしに尋ねたのは、単純な疑問だったからだ。

朽宮 満

( なによ 。思ってたより相当じゃない )
とっくにケトルの縁から溢れ出ている蛇口の水を慌てて捻る様子は 、こちらが感じた違和感よりもいささか上回るようだ 。おー 、だなんて間抜けに漏らすのはどうしたものか 。気分が悪いとかなんだとかそれ以前に『 らしくない 』んじゃあなかろうか 。確かこの短い期間で得た情報から思うに 、天下井良弥という男は 他人への無駄な労力など一切に裂こうとしない 。このように平行作業の末 気をとられる
( それも時間を忘れるほどに )
だなんて非生産的な行為をするとはどこか思えないような 。そんな印象であった気がした 。しかしどうだ 。今目の前で視線をかち合わせて腑抜けた面を浮かべるのは 、なんだかあんたらしくないような気がする 。それに気がついては 眉間に皺を寄せてこんな思考にも至った 。
( メンタルケア 。プロデュースに必要なのかしら )
あぁ 、心底イヤだ 。これはちがう 。心配だとか 、友情ごっこだとか 。そんなお遊びがしたいわけじゃあないの 。ただ私の更なる隆己のためにあんたを使ってやろうってだけなのだから 。コポコポ 、びり 、静かで薄暗いキッチンに響く生活音はどこか虚しげに私たちを嗤うように聞こえて 。なんとなく居心地が悪くなってしまったのか 、ダイニングテーブルの椅子を引いて腰掛けた 。そして沈黙の末に手持ち無沙汰にファイルをぱらぱらと捲りながらこう言った 。
「 ブラックで良いわよ 。」
続ける言葉が思い付かず 、少しの間考えてしまってからまた一言 。
「 御用なんてもんじゃあないけれど 、秋暮の情報が欲しい ... 私からは 、ね ? 」
気づいているだろう 。あなたも馬鹿じゃあない 。私だって口ではそう言いつつ先程までのメンタルケアだとか言う思考を口に出したくないだけだ 。いつものあなたなら絶対にお悩み相談なんてしなさそうだけれど 、ちょっとくらい付き合ってもいい 。なんて 。 掛けた 。手持ち無沙汰にファイルをぱらぱらと捲りながら言った 。
「 御用なんてもんじゃあないけれど 、秋暮の情報が欲しい ... 私からは 、ね ? 」
気づいているだろう 。あなたも馬鹿じゃあない 。私だって口ではそう言いつつ先程までのメンタルケアだとか言う思考を口に出したくないだけだ 。いつものあなたなら絶対にお悩み相談なんてしなさそうだけれど 、ちょっとくらい付き合ってもいい 。なんて 。

天下井 良弥

彼女から付け加えられた小さな一言に、少し驚いた。まあ、偏見や自分の好みもあるが、よくブラックコーヒーなんて苦いものを呑めるものだ。俺は甘い方がいい、人生も何もかも、甘いものに囲まれて生きていきたい。 そんな空想に取り込まれそうになると、手元のカップから湯気が上る。今更、電気をつければいいのにと思った。けれど、薄暗い部屋の中で気のままに揺蕩うそれをもう少しだけ見ていたくて。何も言わずに腰掛ける少女に肩を竦めて返すと、様子を伺ってから彼女の前にカップを差し出した。手元に抱えているのは何だろうか。しかし一目見ただけで彼女の物だろうというのは分かった。燕脂は彼女によく似合うから。
「 ……へえ、とどのつまり、索敵ってとこ? マネージャー様は大変だねえ。んでもって、よりにもよって秋暮の中でも俺に当たるの、コスパ悪すぎでしょ 」 
背を向けてキッチンに戻ると同時に、パチンとスイッチのボタンに指を置く。白電球の光が卓上に降っていく。それを横目に、紙コップに粉と湯を注ぐ。甘い香りが鼻腔を擽った。だからだろうか、普段なら鼻で笑うような誘い文句に、面倒くさいという言葉が湧いてこなかった。 
「 ……まあ、いいや。 ココア一杯分くらいは損得勘定に入れないでおくよ 」 
そう言って、熱の伝わるそれを持ちながら、小さく笑って相手の向かい側に腰を下ろした。 

朽宮 満

「 コスパ ? 何故 ? あんた そんなに自己評価低かったかしら 。」
というか私はマネジメント事業に手を出すつもりはないのだけれど 。だなんて 、ムッとして口答えては秋暮の面々に想いを馳せる 。洗練された身体の動かし方が印象的な彼と独特の容姿でインフルエンサーをしているだとかの彼 。どちらかと言えば話が通じそうなのはあの子だろうか 。それともあの子だろうか 。ろくに会話を交わしたこともなく一方的に観察しているだけなので分からないが 、彼だって特に話が通じない訳でもなかろうに 。
「 勘違いしないでよ 。私があんたに付き合ってやってるだけなの 。」
冗談混じりに口角を少しだけ緩めて言っては 、『 これで代金のつもりなら安すぎるけど 』なんて言うようにマグカップをゆらゆらと揺らして見せた 。もうすっかり暗黒は帳を降ろしてしまうようだ 。ものの数分で薄暗さが増し 、遠くに聞こえる物音と漏れでる明かりの面影が悲哀さを増幅させていくように感じた 。それらはまだ私たちに完全なる漆黒を与えることはなく 、相手の姿や置いた家具 、そして彼の持ってきたマグカップから昇る湯気の姿をぼんやりと認知できるものだった 。明かりはあると便利だが 、私はこの時間帯の薄暗さが好きだ 。寄り添うように 、だとかクサい歌詞みたいなことではなくて 、単純に赦されたいのだから 。ずるさも弱さも全てを赦すような微妙な薄暗さは私は好きだ 。そんな空間が一瞬にして現実に引き戻されて我に還るように顔をあげる 。あぁ 、まぶしい 。目の前に置かれたカップを手に取って口を付けた 。香る苦さと少しの酸味 。甘さなんていらない 。成功者か 、そうでないか 。2つに分けられたもののどちらかにしかいられないのだから 。優しい言葉なんていらない 。勝者には称賛と拍手を 、敗者には罵声と嘲笑を 。

天下井 良弥

「 …… ん、ふふ、言葉一つで自己評価測れるなんて …… 流石はマネージャー様 」
彼女から帰ってきた指摘に一瞬固まる。言われてみれば、自分を下げていたような。そこでぞっとした。何の気無しに出た言葉だった。俺、そんなあからさまに言ってたっけ? 確かに無意識というものは恐ろしいもので、外から突かれなければ分からない。元から凝らされ気怠げに見える瞳を更に細くして、取り繕うようにまだ口にするには熱過ぎるカップの中身を一口含んだ。熱いものは熱い。ぺろりと舌が出る。冗談気味にはぐらかすには、良いアクセントになっただろう。
「  俺は、自分への評価が間違っているとは思えないね。あんたは人のことをよく見ている。なら一層分かるだろ 」
コトリ、音と共にコップを卓に置いた。まだ中身は入っているというのに、何とも軽い。彼女の手で揺れるマグカップとは違う、あり触れた消耗品。それを見ていると、分かってはいたがらしくない言葉がついてでた。嗚呼、面倒臭いな。他でもないこの俺が、自分のことを面倒臭いなんて思う日が来るなんて。俺が俺自身の音を信じられなくなる日が来るなんて。でも、本当にそうだろうか? もしかすると、俺はずっと信じてなんていなかったんじゃないだろうか。表立って演奏を周囲に聞かせないのも、人目につく方法で表現をしてこなかったのも。全部全部、面倒臭いなんて言葉で片付けてきたのは言い訳で、
「 …… 俺の、天井のことくらい 」
ああ、言ってしまった。水面に目が落ちる。波紋はない。そうだ。逃げてきただけじゃなかったのか。アサギに来て、初めて本気の音に、覚悟に、信念に触れて、否応なしに叩きつけられた。自分は甘かった。偶然手に入れた甘い話に、偶然乗っただけだった。 本当は逃げていなかったのかもしれない。でも今となっては、水槽がこの世の海だと盲信していたかっただけだ。そうとしか思えなくなった。気付けば膝の上に置かれていた手は、ズボンごとくしゃくしゃにして拳を作っていた。

朽宮 満

(『 コスパ 』だなんてつくづく気にさわる )
イエスともノーとも答えずにはぐらかすような言葉は 、気持ち悪く私の表面にさわった 。撫でるとも刺さるとも言えない沈黙とその声が いつまでも膜のように身体を覆うようで 。不快感というかなんというか心地よい気もして来てしまったのが気持ち悪い 。私は熱血がキライだ 。私はやる気のないやつがキライだ 。
( コイツみたいな省エネルギーは理解に及ばない )
冗談めかした言葉には敢えて何も答えず 嫌みを返すみたいな視線を1つくれてやれば 、あんたはなんと続けるだろうか 。
( なにを “ 俺は周りとちがう ” みたいな顔でいるのよ )
その指先がカッブに触れる 。
( でも )
勿体ぶった仕草で口元に運んでは舌を出して唇がひかった 。
( それはきっといつも通りが覆るのがこわいから )
挙動をそのままの視線で全て見つめてやった 。
「 なにそれ 、どうにかなんない訳 ? 」
天井 。それは自らの限界値だと言うことだろうか 。カップが机と触れる音の後と前に捉えた声は 、本当にあんたから出てくるとは思えないような声色 。つくづくおかしなヤツだ 。
「 ... 興味 、ないのよこっちは 」
急激に真剣味を帯びた空気感 。なんなのよ 。
「 あんたの上限なんか 」
彼が瞳を水面に落とす 。無情に光るライトが煩わしい。
「 天下井良弥 。それは結局あんたしかぶち破れないじゃない 。」
激励の言葉なんかじゃない 。私はコイツのうだうだが気にくわなかっただけ 。自らの頬に両手を添えて机につく 。そのまま真っ直ぐに私の薄紅とあんたの黑瑪瑙とを直線上に結んだ 。数秒間だけ口元を引き結んだままに見つめあっては 、ふっと少しだけ緩めて見せた 。仮にも笑顔だなんて呼べるものではないけれど 。第一私がコイツと見つめあって笑うだなんて気持ち悪い 。けど 、今くらいはくれてやってもいいかしら 。天井だなんて意味深な言葉で伝えて来ようとするのは気にくわない 。そんな弱音を吐くくらいなら真っ直ぐにいればいい 。... でもそれができないのだと言うことはなんとなく 、わかってしまった 。だから私はせめて 、あんたにしかできない音の表現を 、あんたにしかできない繊細な音楽を潰させたくなかった 。次に続く言葉の前に視線を外して 、背もたれに身体を預けた 。頭をぐ 、と天井に向けて目を閉じる 。きっとそれは手を伸ばしても届きはしない 。ライトがひどく目に痛かった 。

天下井 良弥

居た堪れなくなって下に落ちていた瞳が、思わず上を向いた。一言で言うなれば、______激励? 否、彼女の為人をある程度見聞きしている人間からすれば、それは激しいというよりは、柔い。目の前のその人が発するであろう返答とは真逆の方向性の言葉だった。そしてそれ以上に、その場でおかしかったのは他でもない彼女の表情だった。
「 ……へ? 」 
思えば、人付き合いが上手くないのは元来だった。だからだろうか、人の目をまじまじと見て、向かい合って話をするなんてことまともにしたことなかった。だからより一層、自身の虹彩に入る光に描かれた彼女の一挙一動が網膜に焼きつくようだった。彼女の瞳は薄いのに、その中にあるのは間違いなく、鮮やかな燕脂色だ。そんな燕脂が笑っている。他の練習生に漏れず無駄に整った顔のくせに、いつも言動で見えなくなっているその顔が俺を見ていた。しかし、彼女から言われたことと、今見えている景色とで、己の出来の良いとは言えない頭はそれまで回っていた方向とは逆の方向へ回り出したらしい。嗚呼、そうだ。そうだよな。
「 ……はっ、やっぱあんた、マネージャー向いてるよ 」  
芥となった甘さの残りを、グッと胃に放り込んだ。幾らかの水滴が宙を舞ったかもしれない。けれどそんなの気にしてられない。気にする必要もない。ボサボサと膨らんで見える狗尾草のような己の頭を二、三度掻いて、目を閉じ天を仰ぐ目下の少女のもとに一歩、二歩。そして、 
「 武道館の手配は、あんたに頼むわ 」 
彼女に差す光を遮って、無防備な背後、上から覆うように身を抱いた。ぽつり、小さく耳元で囁いた決意表明は、きっとこの場限りのでまかせなんかじゃないのだ。

朽宮 満

『 へ ? 』 
だなんて 、腑抜けた声を漏らすあんたは本当に良くわかってない 。雰囲気だとかそんなものじゃあないのだけど 私のお言葉よ ? ありがたく受けとっていれば良いのに 、いちいちそんな反応しないでよ 。それに私はプロデューサーであってマネージャーだなんてごめんだわ 。私は私の舞台を 、世界を 、音楽を 。演者を通して何よりも煌めかせるの 。だから演者の尻拭いだとか 、メンタル管理とかいうお守りだとか 、そんなことがしたいわけじゃない 。
「 別に励ましてるつもりなんてないわ 」
なんならライバルは蹴落とされてくれても良いのだけれど 。一瞬限りの緩みを直ぐにいつものしかめ面に戻しては 、冷えてしまったマグカップの残りを一気に飲み込む彼に そんな旨を口に出して抗議してやろうかと思ったそのときであった 。
( ... は ? )
正面にいたはずのあんたの気配がだんだんと背後に回って 、頭の位置はそのままに閉じていた瞳を開けた 。目を開けると他でもないあんたが私を覗き込んでいるではないか 。眩しい光の痛みは消えた 。変わりに私の瞳がその黒瑪瑙で占める 。奥底に見えた確かな淡黄蘗に反発しようにも 捕まえられたように動くことができなくて 。だんだんと耳元に近づくあんたの香りに 、抱きすくめられたかのような腕の体温 。その全てがイレギュラーでどことなく懐かしい 。どくんどくんと鼓動だけがやけに鳴り響いて煩わしさを増した 。それでも私の耳元は届いた確かな響きを逃すことはしなかった 。ふわふわと残るコーヒーの苦さと現実味の中で 、これだけはとでも言わんばかりに口は動いた 。
「 ... 私があんたを光らせる 」
いつかあの広い会場を埋めて 、歓声で溢れた舞台を私が作るのだ 。この距離も 今この瞬間だけは 、いいか 。